2009年07月31日
ミクロとマクロの画質評価
写真の画質評価は難しい。解像感一つとっても、微細部分の解像感描写の評価と、写真全体として「解像感良く、すっきりとしていて、いい画だな」という感覚は、(少なくとも僕の場合)どうも直結しない。
たとえば。
K-7の画質設定をまた少し変更した。先日のエントリとは考えを変えて、ファインシャープネスに設定してみたのだ(ただし数値は±0)。数値が小さい場合、ピクセル等倍で見ていると普通のシャープネスとの差はあまり感じられない。しかし、画像全体を見比べてみると、不思議なことにファインシャープネス時の方が抜けが良く感じるのだ。ところがもう一度ピクセル等倍で比べてみても、やはり明確な差はわからない。少なくとも画像全体の比較での二つの画像の「違い」とは印象が異なる。
また、たとえば。
FA31mm F1.8 Limitedを入手した。ファンが多いレンズではあるが、デジタル時代以前の設計であり、実は等倍観賞での評価はそう高くないようだ。実際に自分でこのレンズで撮った写真をピクセル等倍で確認しても、あまり良くない意味合いで「こんなものか」と感じた。
しかしなぜか写真としては「お、なんかいいね」と感じさせられるのだ。すっきりしているというか、自然さと抜けが同居しているというか…(その良さを第三者に伝わるように表現できないのが残念)。
ミクロとマクロの画質評価が直結しない、その理屈はよく判らない。おそらく画面全体の「すっきり感」(僕が感じている画の良さ)は、ピクセル等倍で見たときのクッキリさの延長上にあるのではなく、色描写、陰影描写などの影響がかなり大きいということなのかな、と考えてはいるのだが。
いずれにせよ、僕にとってK-7の出してくる画は全体的に見て満足感が高い。これは幸いなことだ。
ちなみに、現在の設定は下記の通り。
カスタムイメージ:ナチュラル
彩度:+1
色相:0
キー:0
コントラスト:0
ファインシャープネス:0
ダイナミックレンジ拡張:状況によって切り替え
K-7の画質論議ではシャープネスの数値ばかりが取りざたされているが、彩度とコントラストをいじる方が、画全体には影響が大きいのではないかと思う。




PENTAX K-7、FA31mm F1.8 Limited。
たとえば。
K-7の画質設定をまた少し変更した。先日のエントリとは考えを変えて、ファインシャープネスに設定してみたのだ(ただし数値は±0)。数値が小さい場合、ピクセル等倍で見ていると普通のシャープネスとの差はあまり感じられない。しかし、画像全体を見比べてみると、不思議なことにファインシャープネス時の方が抜けが良く感じるのだ。ところがもう一度ピクセル等倍で比べてみても、やはり明確な差はわからない。少なくとも画像全体の比較での二つの画像の「違い」とは印象が異なる。
また、たとえば。
FA31mm F1.8 Limitedを入手した。ファンが多いレンズではあるが、デジタル時代以前の設計であり、実は等倍観賞での評価はそう高くないようだ。実際に自分でこのレンズで撮った写真をピクセル等倍で確認しても、あまり良くない意味合いで「こんなものか」と感じた。
しかしなぜか写真としては「お、なんかいいね」と感じさせられるのだ。すっきりしているというか、自然さと抜けが同居しているというか…(その良さを第三者に伝わるように表現できないのが残念)。
ミクロとマクロの画質評価が直結しない、その理屈はよく判らない。おそらく画面全体の「すっきり感」(僕が感じている画の良さ)は、ピクセル等倍で見たときのクッキリさの延長上にあるのではなく、色描写、陰影描写などの影響がかなり大きいということなのかな、と考えてはいるのだが。
いずれにせよ、僕にとってK-7の出してくる画は全体的に見て満足感が高い。これは幸いなことだ。
ちなみに、現在の設定は下記の通り。
カスタムイメージ:ナチュラル
彩度:+1
色相:0
キー:0
コントラスト:0
ファインシャープネス:0
ダイナミックレンジ拡張:状況によって切り替え
K-7の画質論議ではシャープネスの数値ばかりが取りざたされているが、彩度とコントラストをいじる方が、画全体には影響が大きいのではないかと思う。




PENTAX K-7、FA31mm F1.8 Limited。
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